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US-2にいつ乗るの?今でしょ! ― 2013年06月22日
今回は番外編 その3 US-2です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/US-2_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29
(US-2(航空機) Wikipedia)
US-2は現役の自衛隊航空機。さてなぜこれを取り合うかというと・・・
海上で辛坊さんを救ったのがUS-2だからです。有名になりました。
そしてそれを飛行艇として考え、その歴史を追ってみると意外な事実にたどりつくかも・・・!?
今回洋上で遭難した辛坊さんらを救ったUS-2を飛行艇という括りで見てみると、wikipediaからは「二式飛行艇」というものが出てきます。
「川西航空機」製造の二式飛行艇 はワシントン海軍軍縮条約・ロンドン条約によって対米劣勢を余儀なくされた艦艇勢力を補うため、長距離攻撃機(雷撃・爆撃機)として制式化された九七式飛行艇や当時諸外国が有した飛行艇の水準をはるかに上回る性能が要求されて生まれた飛行艇でした。
条件を限定されて凄いものが出来てしまうのは日本ではよくあることで(笑)、大型高速で充分な防御火器を装備した本機は連合国パイロットから「フォーミダブル(恐るべき)」機体と呼ばれます。
大航続力を生かして3機で真珠湾を再空襲。B-25ミッチェルやB-17といった米軍大型爆撃機を積極的に追撃して撃墜したという逸話も残っています。その攻撃力から「空の戦艦」などとも呼ばれ、長距離の偵察・爆撃にと終戦まで活躍しました。
しかし日本独自の飛行艇は日本の敗戦によって、また海上での救助などの役割はヘリコプターの登場によって用途が無くなります。
その後、1954年(昭和29)に保安隊から改変発足した海上自衛隊は、当初アメリカ海軍から航空機の供与を受け、その中に米国のロッキード社が製作したP-2を対潜哨戒機もありました。しかし、これは飛行艇ではなく航空機でした。
それから時が経つにつれて自衛隊には自前の飛行艇を持つべきだという声が上がっていきます。
その中にかつて川西の設計陣を率いた技術者、菊原静男がいました。
1953年(昭和28)から社内で飛行艇の構想を練っており、1957年(昭和32)には防衛庁に対し、飛行艇の実験機を作らないかと持ちかけています。
これらの声を受けて防衛庁でも飛行艇の実用化を検討。
1960年(昭和35)には、新型飛行艇を対潜哨戒機として使用する案がまとまります。
そして「自衛隊」らしい国産航空機として、防衛庁は1972年(昭和47)と1973年(昭和48)に「水陸両用救難飛行艇」として計3機の試作機を発注。
PS-1の対潜装備の代わりに救難機器を設置し、陸上離着陸能力(ランディング・ギアと、その収容バルジの装備など)を持たせてレベルアップさせた試作機PS-1改(防衛庁の呼称。新明和では当初よりUS-1)が製作され、
1976年(昭和51)6月に部隊使用が認められ、救難飛行艇「US-1」と名づけられました。
そして今回辛抱氏らを救ったUS-2は、海上自衛隊が運用する救難飛行艇。製作は新明和工業。US-1Aの後継機体です。2007年に運用開始。
離着水時の操縦性の改善・患者輸送環境の改善・洋上救難能力の維持向上などが要求されて製造されたUS-2は、見事にその役割を果たせることを、自衛隊を批判しがちなコメンテーターを救うことで十分証明したのでした。
彼らを救うのに掛かった国費は4000万程度と言われておりますが
山の遭難・捜索とは違い、海上の救助は国費で賄われます。
辛抱氏もそれを自覚しているのか「立場が無く仕事を自粛したい」ことを発言しており、身の置き場が無い様子です。
そのような状況を鑑みれば、US-2(国産機)の立場を再強化した結果は、一番得をするのが犯人という説で言えば、
たぶん辛抱氏らの船を轟沈しない程度に沈めた犯人はクジラでも漂流物でもなく、日本の潜水艦ではないかと思われます。
自衛隊に辛口だった辛坊氏から「この国の国民でよかった」と言われ、
中国の潜水艦は既に丸裸にしており、誰にもばれてない・・・。
海上自衛隊の知られざる作戦能力の凄さが伺えます(笑)
いやそんなことが兵器で平気に出来るなら尖閣諸島は大丈夫だー、安全だわー。
※最後のほうは本気にとらないでください。
ちなみに「九七式飛行艇」のほうは九七式輸送飛行艇が川西式四発飛行艇の名で横浜を基点にサイパン-コロール-トラック島-ポナペ島-ヤルートへの南洋諸島定期便に開設、愛称を持つ機体の民間登録番号として、
J-BFOR "黒潮"
J-BFOS "朝潮"
J-BFOT "曙"
J-BFOX "潮"
J-BFOY "漣(さざなみ)"(南海の花束・出演機)
J-BFOZ "綾波"
J-BGOA "磯波"
J-BGOB "浦波"(南海の花束・出演機)
J-BGOC "叢雲(むらくも)"
J-BGOD "白雲"
J-BGOE "巻雲"
J-BGOF "夕雲"
J-BGOG "東雲(しののめ?)"
J-BGOH "朝凪"
艦これでも良く知る駆逐艦の名前が付けられていたようです。
空の駆逐艦だって!?
なんだおもいっきり萌えてんじゃないか!!
どうやらガルパンも艦これも既に彼らが通った道だったようです。
それならば我々もあえて言おう、「この国の国民でよかった」と。
http://ja.wikipedia.org/wiki/US-2_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29
(US-2(航空機) Wikipedia)
US-2は現役の自衛隊航空機。さてなぜこれを取り合うかというと・・・
海上で辛坊さんを救ったのがUS-2だからです。有名になりました。
そしてそれを飛行艇として考え、その歴史を追ってみると意外な事実にたどりつくかも・・・!?
今回洋上で遭難した辛坊さんらを救ったUS-2を飛行艇という括りで見てみると、wikipediaからは「二式飛行艇」というものが出てきます。
「川西航空機」製造の二式飛行艇 はワシントン海軍軍縮条約・ロンドン条約によって対米劣勢を余儀なくされた艦艇勢力を補うため、長距離攻撃機(雷撃・爆撃機)として制式化された九七式飛行艇や当時諸外国が有した飛行艇の水準をはるかに上回る性能が要求されて生まれた飛行艇でした。
条件を限定されて凄いものが出来てしまうのは日本ではよくあることで(笑)、大型高速で充分な防御火器を装備した本機は連合国パイロットから「フォーミダブル(恐るべき)」機体と呼ばれます。
大航続力を生かして3機で真珠湾を再空襲。B-25ミッチェルやB-17といった米軍大型爆撃機を積極的に追撃して撃墜したという逸話も残っています。その攻撃力から「空の戦艦」などとも呼ばれ、長距離の偵察・爆撃にと終戦まで活躍しました。
しかし日本独自の飛行艇は日本の敗戦によって、また海上での救助などの役割はヘリコプターの登場によって用途が無くなります。
その後、1954年(昭和29)に保安隊から改変発足した海上自衛隊は、当初アメリカ海軍から航空機の供与を受け、その中に米国のロッキード社が製作したP-2を対潜哨戒機もありました。しかし、これは飛行艇ではなく航空機でした。
それから時が経つにつれて自衛隊には自前の飛行艇を持つべきだという声が上がっていきます。
その中にかつて川西の設計陣を率いた技術者、菊原静男がいました。
1953年(昭和28)から社内で飛行艇の構想を練っており、1957年(昭和32)には防衛庁に対し、飛行艇の実験機を作らないかと持ちかけています。
これらの声を受けて防衛庁でも飛行艇の実用化を検討。
1960年(昭和35)には、新型飛行艇を対潜哨戒機として使用する案がまとまります。
そして「自衛隊」らしい国産航空機として、防衛庁は1972年(昭和47)と1973年(昭和48)に「水陸両用救難飛行艇」として計3機の試作機を発注。
PS-1の対潜装備の代わりに救難機器を設置し、陸上離着陸能力(ランディング・ギアと、その収容バルジの装備など)を持たせてレベルアップさせた試作機PS-1改(防衛庁の呼称。新明和では当初よりUS-1)が製作され、
1976年(昭和51)6月に部隊使用が認められ、救難飛行艇「US-1」と名づけられました。
そして今回辛抱氏らを救ったUS-2は、海上自衛隊が運用する救難飛行艇。製作は新明和工業。US-1Aの後継機体です。2007年に運用開始。
離着水時の操縦性の改善・患者輸送環境の改善・洋上救難能力の維持向上などが要求されて製造されたUS-2は、見事にその役割を果たせることを、自衛隊を批判しがちなコメンテーターを救うことで十分証明したのでした。
彼らを救うのに掛かった国費は4000万程度と言われておりますが
山の遭難・捜索とは違い、海上の救助は国費で賄われます。
辛抱氏もそれを自覚しているのか「立場が無く仕事を自粛したい」ことを発言しており、身の置き場が無い様子です。
そのような状況を鑑みれば、US-2(国産機)の立場を再強化した結果は、一番得をするのが犯人という説で言えば、
たぶん辛抱氏らの船を轟沈しない程度に沈めた犯人はクジラでも漂流物でもなく、日本の潜水艦ではないかと思われます。
自衛隊に辛口だった辛坊氏から「この国の国民でよかった」と言われ、
中国の潜水艦は既に丸裸にしており、誰にもばれてない・・・。
海上自衛隊の知られざる作戦能力の凄さが伺えます(笑)
いやそんなことが兵器で平気に出来るなら尖閣諸島は大丈夫だー、安全だわー。
※最後のほうは本気にとらないでください。
ちなみに「九七式飛行艇」のほうは九七式輸送飛行艇が川西式四発飛行艇の名で横浜を基点にサイパン-コロール-トラック島-ポナペ島-ヤルートへの南洋諸島定期便に開設、愛称を持つ機体の民間登録番号として、
J-BFOR "黒潮"
J-BFOS "朝潮"
J-BFOT "曙"
J-BFOX "潮"
J-BFOY "漣(さざなみ)"(南海の花束・出演機)
J-BFOZ "綾波"
J-BGOA "磯波"
J-BGOB "浦波"(南海の花束・出演機)
J-BGOC "叢雲(むらくも)"
J-BGOD "白雲"
J-BGOE "巻雲"
J-BGOF "夕雲"
J-BGOG "東雲(しののめ?)"
J-BGOH "朝凪"
艦これでも良く知る駆逐艦の名前が付けられていたようです。
空の駆逐艦だって!?
なんだおもいっきり萌えてんじゃないか!!
どうやらガルパンも艦これも既に彼らが通った道だったようです。
それならば我々もあえて言おう、「この国の国民でよかった」と。
コメント
_ miki178 ― 2013年08月28日 10時37分
_ ワルナンデス ― 2013年08月28日 10時53分
miki178提督、こんにちわ^^
奇蹟の飛行艇―大空に生きた勇者の記録 Amazonで中古しかありませんでしたが注文してみました^^
届くのが楽しみです^^読了したら感想ブログに書きますね。
奇蹟の飛行艇―大空に生きた勇者の記録 Amazonで中古しかありませんでしたが注文してみました^^
届くのが楽しみです^^読了したら感想ブログに書きますね。
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最後まで生き残ったパイロットの本です。