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イージス艦にいつ乗るの?今でしょ!(米国番外編)2013年05月31日

今回は「xxにいつ乗るの?今でしょ!」の番外編 その2として

先日米国イージス艦に「ダニエル・イノウエ」氏の名が使われることになったのを記念して
じゃあそのイージス艦である「アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦」に名前の付けられた人たちは
いったいどんな人だったの?を3行で紹介していくことに挑戦してみたいと思います。
全員を紹介すると、なんとこの駆逐艦型だけで60隻以上もあるので
今後も関わりがありそうな人物および面白いと思った人物のみを抜粋で紹介していきます。
(Wikipediaを中心に調べた結果です)
アメリカ海軍のイージスシステムを搭載したミサイル駆逐艦の艦級。
海上自衛隊が保有するこんごう型あたご型護衛艦のベースとなった艦でもある。
防空艦から最近では海賊の取り締まり、対地攻撃もこなす。継続的な改良が加えられており、米国では唯一の駆逐艦型となっている。
(その他、詳しい兵装や活躍についてはwikipeidaをご覧ください)

DDG- 51 アーレイ・バーク
日本海軍の巡洋艦1隻、駆逐艦9隻、潜水艦1隻などを撃沈破、航空機約30機を撃墜。戦中に大佐となり、最終階級は大将。
戦後は嫌日家として「ジャップ」などと言って忌み嫌っていたが、元海軍中将草鹿任一と知り合い親交を持つことで親日家となる。
海上自衛隊の設立にも協力。葬儀では遺志により胸につけられていたのは日本の旭日大綬章ただ一つだけであったという。

DDG- 51 ジョン・S・マケイン
第一次世界大戦・第二次世界大戦に参加。最終階級は大将。高速空母機動部隊指揮官として武蔵を失って退却する栗田艦隊を追撃して痛打を浴びせた神風特攻隊に悩まされ対抗策をとる中で台風による2度の艦損の責任を取らされて更迭が内定された中で戦艦ミズーリ艦上における降伏文書調印式に参列。帰国後、自宅で心臓発作により逝去した。孫は大統領候補にもなっている。

DDG- 51 ラメージ
第二次世界大戦中に活躍したアメリカ潜水艦の艦長の一人。
右目の視力が弱いというハンディを乗り越えて数多くの輸送船を撃沈船団に浮上したまま割って入るなど派手な戦果をあげる。
「光栄丸」「萬光丸」「吉野丸」などを撃沈した功績により生存した潜水艦艦長では初めて名誉勲章を授けられた。中将で退任。

DDG-64 カーニー
第二次大戦中に輸送船団の護衛の任を任され、2600隻もの船を護衛して損失わずか6隻という功績海軍殊勲章が授与される。
軽巡洋艦「デンバー」の艦長時には第68任務部隊と共に日本海軍の駆逐艦「村雨」と「峯雲」を一方的に攻撃して撃沈する。
彼が整えた物流体制の貢献は大きかった。戦後はNATO部隊司令官と第6艦隊司令長官を兼任。最終階級は大将。

DDG-68 ザ・サリヴァンズ
艦名の由来は、第二次世界大戦中にアメリカ海軍軽巡洋艦「ジュノー」に乗り組み、1942年11月13日の第三次ソロモン海戦直後に「ジュノー」が日本海軍潜水艦伊号第二六潜水艦(伊26)の攻撃によって沈没した際に全員戦死した5人兄弟のことである。
この戦死は大統領や教皇などからも哀悼され、兄弟全員の戦死を防ぐために「プライベート・ライアン」のような規定が作られた

DDG-70 ホッパー
艦名の中では異色。アメリカ海軍の軍人かつ計算機科学者。最終階級は准将。コンピューターのプログラム開発者。
リレーに蛾が挟まって機械が作動しなくなったという初期のコンピュータが昆虫などで故障した例の中で記録に残った有名な「バグ」の逸話を残す。退役当時ホッパーは79歳で、これは現役士官では最年長だった。ホッパー・グレースは女性である。

DDG-77 オカーン

リチャード・オカーンは潜水艦艦長。最終階級は少将。
1943年7月新造艦のタングに転任。敵船団の真ん中に位置して前後の船を攻撃するなど革新的ないくつかの運用戦術を開発し優れた戦果を挙げ、撃沈した敵船舶の総数24隻は戦中における潜水艦艦長歴代トップである。一度の哨戒で10隻を撃沈したこともあった。

DDG-90 チェイフィー
ガダルカナル島の戦いに参加した退役軍人である故ジョン・チェイフィー上院議員。

DDG-91 ピンクニー
艦名は南太平洋海戦で航空母艦「エンタープライズ」に乗艦し、勇敢な救助活動で海軍十字章を受章したウィリアム・ピンクニー一等給仕兵に因んでいる。

DDG-93 チャン=フー

中国人と英国人とハワイ人の混血である父とハワイ人の母から生まれた人物で、第二次世界大戦中は沖縄沖にて神風特攻の突入を受け機関が大破するも艦長として「長期かつ有効な対空砲火」の維持を目的に、当該海域に留まることを命じ「シグスビー」はダメージコントロールを実施つつ自力航行での帰港を目指し努力した。戦後、アジア系アメリカ人初の将官となる。

DDG-97 ハルゼー

ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア。最終階級は元帥。太平洋戦争において米第3艦隊司令長官として日本軍と戦った。
機動部隊の指揮官の一人で、日本の山口多聞や小沢治三郎と比較されることも多い。
1946年4月にアメリカ上院により元帥を身分上終生現役待遇とする法案が可決され、恒久的海軍元帥として宣誓した。

DDG-98 フォレスト・シャーマン

最終階級は大将。アメリカ海軍史上、最年少の海軍作戦部長。空母「ワスプ」艦長として第一次ソロモン海戦で勝利した三川軍一中将の日本艦隊の追撃を行う。ワスプは伊号第一九潜水艦(伊19)の魚雷攻撃により自沈を余儀なくなされる。救助後は作戦参謀に転じ少将に昇進。戦後、海軍作戦部長。NATO関連の問題解決のために出張中、心臓発作により54歳で急逝する。

DDG-100 キッド
アイザック・キャンベル・キッドは海軍少将。真珠湾攻撃において、戦艦アリゾナの艦橋で戦死した。彼は第二次世界大戦において戦死した初のアメリカ軍将官であった。息子は海軍大将となっている。

DDG-108 ウェイン・E・メイヤー
1970年から1983年の13年間にわたってイージスシステムのプログラム・マネージャーを務め、イージスシステムおよびイージス艦の建造・構築・運用のすべてを監督し、卓越したリーダーシップにより、プログラム全体を成功に導いた。その功績から、イージスの父として絶大な尊敬を受けており、アメリカ海軍の通算100隻目のイージス艦は、同提督の名を冠してウェイン・E・マイヤー と命名された。

DGG-111 スプルーアンス
レイモンド・エイムズ・スプルーアンス。最終階級は大将。両親が破産状態で大学進学が困難であったため、無料で高等教育が受けられるアナポリス(アメリカ海軍兵学校)に入学。1913年には駆逐艦「ベインブリッジ」(DD-1)の艦長となった。この時、のちに親友で名参謀長となるチャールズ・J・ムーア少尉と出会う。戦後、艦隊医官の提案で在日米海軍の管理下の慰安所を設置も、後に廃止

DDG-118 ダニエル・イノウエ
そして最後が、彼、ダニエル・イノウエです。
これまで全ての艦と艦名由来の人物をわかる範囲で確認してきましたが、イノウエさんのように軍人生活も政治家生活も大きく貢献した人物が艦名を戴くのは希で大昔の人物だったり大統領もいますが、大変珍しいことと言えるでしょう。


欄外
パープルハート章
イノウエ氏も貰っているこの賞は戦傷者に送られる米国の勲。第二次世界大戦末期の日本本土決戦で予想される戦傷・戦死者を考えて50万人分量産されたとか。日本の無条件降伏により在庫として残り、2003年で12万個、それから2010年まで戦後70年に至るまで余っていたそうです。平和な日本の自衛隊員がほとんど戦死することも無かった中で、米国では12万個以上が消費されたんですね・・・。

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