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川内にいつ乗るの?今でしょ!2013年05月15日


はい、ドック待ちの(メンテ明けの重い)時間を利用してもっともっと艦隊これくしょんを楽しもうという企画
「~にいつ乗るの?今でしょ!」のコーナーです。

このコーナーではwikipediaの情報を元に「艦娘」を好きで好きでしょうがない人に向けて
史実に基づいた編成例を紹介していきます。

第五回は図鑑No.046 軽巡洋艦 「川内(せんだい)」です。

川内型軽巡洋艦は1920年(大正9年)に予算成立した八八艦隊計画で、日本海軍にとって重油消費量の飛躍的な増大を予想されために重油の消費量を減らすために設計された新しいタイプの軽巡洋艦です。重油だけを燃やすのではなく石炭を混合させて燃やす。そのため長良型が煙突が3本なのに対し、次世代の川内型は4本となっています。

当初8隻の建造を予定しかし川内、神通、那珂の3隻を建造したところでワシントン海軍軍縮条約締結により八八艦隊計画は中止されました。またここまで日本海軍は軽巡洋艦を多数保有していたため、軽巡洋艦の建造は暫く見送られることとなったようです。

この後に計画される最上型、利根型は重巡洋艦の扱いとなっていきます。

この川内の就役は 1924年4月29日。球磨型→長良型→川内型と続く14隻建造された日本海軍の5500トン型軽巡洋艦の最終型となります。(以降は重巡洋艦へ)

なお川内型は経年が浅かったため改良が優先され、太平洋戦争の末期まで第一線で活躍しています。
川内型は手に入りやすいのでゲームでも最初に改造した軽巡洋艦になっているプレイヤーは多いかもしれません。

太平洋戦争の開戦時は第3水雷戦隊の旗艦を務めていました。

マレー半島での上陸作戦が順調に進みつつある昭和17年1月、マレー半島南部東海岸にあるエンドウに輸送する作戦に川内ら第三水雷戦隊が合流。1942年1月27日、エンドウ沖での海戦に参加します。

この時の第一護衛隊の艦艇は、軽巡洋艦川内、駆逐艦天霧夕霧朝霧吹雪白雪初雪
第一号~第五号掃海艇、特設掃海艇2隻、駆潜艇3隻特設監視艇5隻の22隻。

この戦いはエンドウに到着する前に英軍に発見されていたことにより始まりました。
英軍は航空機で4回攻撃を行うも、日本軍の上空直衛機に阻まれて多数の航空機を失います。
英軍は当時シンガポールに在泊していたイギリス駆逐艦サネットとオーストラリア駆逐艦ヴァンパイアを 出撃させ、揚陸中の日本軍船団にイギリス駆逐艦サネット 、オーストラリア駆逐艦ヴァンパイアが攻撃をかけますが、これに対し、
日本軍の護衛艦隊(軽巡洋艦川内、駆逐艦6隻)が迎撃。海戦は暗夜の中行われ、結果 は、サネットが沈没し、日本側は白雪の乗員1名が重傷を負っただけでした。
海戦には勝利しましたが、兵力差を考えると日本海軍にとって不出来な一戦と言われています。

続いて昭和17年(1942年)6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー攻略作戦に参加。
連合艦隊主力旗下の第3水雷戦隊としてミッドウェー海戦に出撃します。


連合艦隊(主力部隊) 司令長官:山本五十六大将




この海戦では夜戦を所望していた南雲忠一提督の希望通りにはならず、夜戦の為の編成である川内の出番も、第一戦隊の護衛の任務にもあることからほとんど無かったものと思われます。(詳細ある情報が出てきませんでした)

また水雷戦隊の役割は旗艦である川内による水上機による偵察などによる情報収集、戦闘においては水雷戦の為に陣頭に立って危険を一身に背負い、夜戦であれば探照灯照射などリスクを冒してまでも突撃した駆逐艦による魚雷攻撃の成功を求めるものです。

続いて1942年11月12日~15日に行われた第三次ソロモン海戦に参加。
第二夜、橋本新太郎少将指揮する軽巡洋艦「川内」、第十九駆逐隊(敷波、綾波、浦波)の第二部隊(掃討部隊)として参戦。
偵察によって米艦隊勢力を「巡洋艦数隻、駆逐艦数隻」と判断したが、米軍新鋭戦艦の存在に気付けないまま戦艦「ワシントン」により四本煙突の巡洋艦(川内)をレーダーで探知され、「川内」に40cm砲9門一斉射撃を三斉射する。
戦艦「サウスダコタ」は「敷波」、「浦波」に斉射を浴びせ、巡洋艦転覆と報告したが、実際に第三水雷戦隊に被害は無かった

やがて駆逐艦「綾波」、軽巡「長良」、駆逐艦「五月雨」、「電」がサボ島西岸をまわって出現。
米艦隊に向け右砲戦・雷撃を開始、「五月雨」は魚雷8本を発射。
米駆逐艦部隊4隻(ウォーク、ベンハム、プレストン、グウィン)が日本軍水雷戦隊と交戦。
「ウォーク」は左舷に魚雷が命中、沈没した。「プレストン」も砲撃を受けて放棄「ベンハム」は右舷艦首を魚雷命中でもぎ取られ、戦闘不能となり、15日夕刻に自沈した。

日本軍は、「綾波」が米駆逐艦の砲撃と戦艦「ワシントン」の副砲射撃により炎上して沈没している。

この後の戦いによって戦艦比叡や霧島を失い、駆逐艦は「暁」、「夕立」(五月雨による自沈処分)。「綾波」を失いました
輸送船団も兵員弾薬を送り届けた後に壊滅したため、その後の輸送に非効率な鼠輸送作戦が用いられることになります。。

1943年11月2日ブーゲンビル島沖海戦に参加。

  • 連合襲撃部隊(大森仙太郎少将)
    • 本隊(大森少将直率):重巡洋艦「妙高」、「羽黒」
    • 第一警戒隊(伊集院松治少将):軽巡洋艦「川内」、駆逐艦「時雨」、「五月雨」、「白露」
    • 第二警戒隊(大杉守一少将):軽巡洋艦「阿賀野」、駆逐艦「長波」、「初風」、「若月
  • 輸送隊(山代勝守大佐):駆逐艦「天霧」、「文月」、「卯月」、「夕凪」、「水無月」(「水無月」はブカ島行)
「川内」は2度の夜間爆撃を受け、これに対して輸送艦隊に打撃を与えるべく進撃。
互いに索敵する状況となり「川内」と「時雨」は約9,000メートルの距離に敵を発見し交戦が開始される。
第二十七駆逐隊の「時雨」、「五月雨」、「白露」が巡洋艦に対して雷撃を敢行するが、前方にいた「川内」が「時雨」に急接近した影響により隊形を乱され、後続の「五月雨」と「白露」が衝突。「時雨」との衝突を間一髪避けた「川内」は、間もなく集中砲火を浴びて航行不能となりやがて戦場に孤立。ただ一艦取り残された「川内」は、5時30分に右に傾斜して沈没していきました・・・

  • 日本海軍の損害
沈没:「川内」、「初風」
損傷:「妙高」(衝突による)、「羽黒」、「五月雨」(衝突による)、「白露」(衝突による
  • アメリカ海軍の損害(海戦後の空襲による「モントピリア」の損傷は除く)
沈没:なし
損傷:「デンバー」、「フート」、「スペンス」(衝突と被弾)、「サッチャー」(衝突による)
この戦いで輸送船団の壊滅に失敗。川内の第三水雷戦隊を率いてきた戦いも終わりました。
指揮官だった少将は拙劣な戦闘の実施であったと批判され左遷。その作戦指揮に巻き込まれた艦があまりにも多すぎました。


以上が川内の歴史です。Wikipediaでは記述が完結すぎるので掘り起こしに苦労しました。

提督「最後は残念だったね。Wikipediaにも第三水雷戦隊の記述がないし、ひどい扱いだ。もっともっと活躍できたはずだよ。」
川内「提督?」

提督「ん、なんだい?」
川内「次こそ(まともな作戦指揮で)絶対夜戦ね!」

提督「そういうことだったのか・・・・。うむ、第三水雷戦隊は私が守ってあげる。戦いは作戦が大事。肝に銘じておく。」

コメント

_ やま ― 2013年05月15日 16時12分

お疲れ様です。

おお、今度は川内さんですな。

我が艦隊の川内さんは大井さんと遠征艦隊の筆頭となって活躍してます。

我が艦隊黎明期には後々加入した鳥海、摩耶の姉妹の代わりを一航戦で務めていました。

現在は遠征に赴いてもらっていますが機が有ればまた第一線に復帰してもらいたいものです^^

_ くろ ― 2013年05月15日 17時23分

はおヾ('ヮ'*)ノ

今回は川内。かわうち、なんて言ったら闇夜に酸素魚雷で串刺しにされちゃいますネ。
第3水雷戦隊の伊集院司令は、伊集院信管を開発した伊集院五郎元帥の御子息で、男爵家の家柄なんですよね。本人は川内と同型の那珂の艦長、愛宕艦長、金剛艦長を務めるなど、家柄に合わず生粋の船乗りでした。
川内には、輸送作戦を成功させるべく神通とともに沈み戦死した伊崎俊二少将が大佐時代に艦長として務め、沖縄特攻で大和艦長として戦死した有賀幸作大佐が中佐時代に副長を務めてもいましたネ。

_ ワルナンデス ― 2013年05月15日 21時58分

やま提督、こんばんわ。

遠征のために編成を確認したついでに活躍もしたので川内さんにしました^^
うちでも大井さんとは肩を並べてレベル順での1ページ目に戦艦や空母を押しのけて残っていますね。

遠征がもう少しシビアなものになったりすると、川内さんたちもいっそうそこで輝きそうですね。沈まない程度に難易度が上がるといいかも!?

_ ワルナンデス ― 2013年05月15日 22時10分

くろ提督、こんばんわ^^

前門のトラ(酸素魚雷)、後門の狼(九六式25mm三連装機銃)なんてネ・・・(笑)

御子息と言えば特攻隊でもけっこう有名な方の子息が乗って帰らぬ出撃をしていたりしていますね。
堂々たるというか、悲惨というか・・・。艦長も思っていたよりも多くの艦へと移動しているのは驚きました。
多くの艦長が戦死されていますが、生きて経験や体験を次世代に伝えることが出来なかったのが本当に惜しいと思います。語り尽くせぬほどの経験を積まれたはずなのに、戦争で単に消耗させてしまってもったいないですね。

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